遠い所に行きたくない

決まったときはどうにかなってしまうのではないかと思っていたけれど、蓋を開けてみれば楽しい遠征であった。大阪、京都、北海道を三日間で回るというタイトなもので、遠征中に二回ぐらい泣いてしまうだろうと覚悟していたが、泣かずに済んだ。

出発前は細野晴臣の「Choo-Choo ガタゴト」をよく聴いた。林立夫のドラムがすごい。ジガブーばりのバウンス感覚。やはりバウンスには耐え難い魅力があって、この気持ちをどうしたらいいのかもはやわからない。細野晴臣はスウィングとイーブンの混じったエイトビートを「おっちゃんのリズム」と呼んだけど、「ハネ」はやはり大人の味という感じがする。

タフな行程をなるべく軽快に乗り切るコツは全体を意識しないことにあると最近気づいた。行程を行列に見立てたときに、横から見ると「こんなに並んでるのかよ、うわあ」と気が重くなってしまうが、前方から列に相対すれば先頭しか見えない。というか先頭しか見ないように意識する。それで目の前に現れた行程をこなしていく。JBの「ファンクは1拍目にあり」という言葉を曲解して、これを思いついた。

ものごとは、5拍目、9拍目(そんな数え方があるのかは知らないが)に行くからしんどくなるのであって、4拍やったら次は新しい1拍目、というのを繰り返していれば、何も積み重なっていかないので身軽なままでいられるという考え方である。そんなことをいっても実際には疲れるのだが。マラソンでスタートからゴールまで100メートル走ばりの速さで走ればぶっちぎり、みたいなしょうもない話かもしれない。しかし、音楽に限った話でいえば、ループで構成された音楽を、5拍目、9拍目というふうに、時間とともに起承転結のような何かが進行していると思って聴いたり演奏してもおそらくつまらないのではないか。1拍目とはまさに”It’s A New Day”のことなのである。常に新鮮な気持ちで1拍目に乗りかかろう。一体何の話をしているのか。

ここ最近ずっと風邪のひきはじめのような症状が続いていたから、遠征に向けて、葛根湯を飲んで、よく眠り、あまり食べないようにした。風邪の原因となるものは食べ過ぎと睡眠不足だと思う。早めに対処をしたおかげで出発前には風邪の症状を抑えることができた。

今回の遠征では移動中にマスクをつけていた。ウイルス防止のためというよりは、喉と鼻に潤いを与えるためである。空港の荷物検査で怪しまれたが、マスクのせいだったかもしれない。

遠征にはテレキャスターを持っていった。これが重いのでとても難儀であった。遠征用にDEVOが使っている「鉛筆ギター」を導入しようかと考えている。昔買ったGIGSの企画でPOLYSICSのハヤシさんが自作していたので、DEVOの使っているのも手作りのものだと思っていたが、調べてみると既成品であることがわかった。La Bayeというメーカーの「2X4」というギターである。「2X4」とは住宅に使用される木材のことで、規格寸法材料の一種だそうだ。

これで、このギターがめちゃくちゃ重かったらどうしよう。


 

元ネタとしてのシュギー・オーティス

「トリプルファイヤー 鳥居の人気」と検索をかけてこのブログまでたどり着いた人がいた。そんな検索の仕方があるかよと思うけれど、心配してくれてありがとうございます。

ある人物が洒落たカフェにいたところ、トリプルファイヤーを感じさせるような音楽が流れてきたので、「絶対これパクってんな」と思い、便利なアプリを使って曲名とアーティスト名を調べたそうだ。それは一体何ですかと聞けば、シュギー・オーティスの”Sparkle City”とのことであった。

“Sparkle City”が収録されているInspiration Infomationというアルバムは大の愛聴盤ではあるものの、シュギー・オーティスを元ネタとして指摘される日がくるとは思わなかった。なぜならシュギー・オーティスは洒脱であるから。

垢抜けてはいるが、洗練と呼ぶにはあまりに自然な風体であり、このさりげないクールさ加減は天性のものだと考えられる。

さらにシュギー・オーティスの音楽には浮世離れした響きがあり、これを「彼岸のレイドバック」と呼びたいと思う。

“Inspiration Infomation”は今から40年前の1974年に発表された作品だが、未来からの贈り物のような趣もある。当時、シュギー・オーティスは若干21歳。

このような音楽はもう奇跡としかいいようがないので、指摘に対しては、誠に恐縮ですというしかない。畏れ多い。畏れ多いのだが、実際に参考にしている部分もある。細かいフレーズの掛け合いで全体を作っていくという方法はずいぶん参考にした。したものの、という話である。

ちなみにある人物とはジョニー大蔵大臣です。

2013年にアメリカのテレビ番組『Late Night With Jimmy Fallon』にてハウスバンドのThe Rootsと共演したときの映像。
 

真夏のミックステープ”Summertime” / マッスル・ショールズの映画『黄金のメロディ マッスルショールズ』

8月7日は立秋で、暦の上では秋に入ったらしい。しかし、立秋は暑さのピークでもあり、日中は外に立っているだけで滅菌されそうな日差しである。夕暮れ時は風が出てやや涼しい。
帰宅後、冷房の効いた部屋でアイスを食べながら音楽を聴くのがこの季節の贅沢であるが、この夏、もっぱら聴いているのは、DJ Jazzy Jeff & MickによるSummertimeというミックステープだ。
DJ Jazzy Jeffは昔、ザ・フレッシュ・プリンスことウィル・スミスと組んでヒットを飛ばしていた人物。
相棒のMickはセレブのプライベートパーティーなどで回すような一流DJとのことである。
90年代から2000年代前半頃のヒップホップ及びR&Bのヒット曲が選曲の中心となっている。ある曲を元ネタからつないだり、往年のソウル名曲を良い塩梅で配置するなど演出がニクい。
ヒップホップやR&Bはアルバム1枚通して聴くよりも、シングル曲を並べて聴いたほうが、飽きないし、楽しみやすいと思っているので、こういうミックステープが聴けるということは大変喜ばしい。
以下のサイトより、最新版のSummertime Mixtape Vol.5がダウンロードできる。バックナンバーもダウンロード可能。
DJ Jazzy Jeff & MICK present #Summertime5
新宿シネマカリテにて『黄金のメロディ マッスルショールズ』鑑賞。
マッスルショールズはアメリカ南部アラバマ州の田舎町で、その地名はソウルやロックの名産地として知られている。
60年代の頭にリック・ホールという人物がマッスルショールズに「フェイム」というレコーディング・スタジオを建て、地元のミュージシャンを集めてレコード制作を始める。ホールや彼の周囲にいた者が制作したアーサー・アレキサンダーパーシー・スレッジのレコードがヒットし、やがてアトランティックやチェスなどレコード会社専属のウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリンエタ・ジェイムズといった黒人シンガーがレコーディングに訪れるようになる。
フェイムお抱えのスタジオミュージシャンであるところのロジャー・ホーキンス、デヴィッド・フッド、バリー・ベケットらはリックの下を離れて「マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ」を設立する。70年代にマッスルショールズ・サウンドの虜となったロックミュージシャン(ローリング・ストーンズ、ポール・サイモン、ボブ・ディラン、トラフィック、ロッド・スチュワート等)が多く録音を残している。
『黄金のメロディ~』は、リック・ホールと、彼の下に集まったソングライターやミュージシャンたちといったいわゆる裏方たちが主役の映画である。
カイゼル髭が目を引くリック・ホールは、クリント・イーストウッドが演じそうなアメリカの頑固な親っさんといった風情。近年のキャンディ・ステイトンのレコーディング場面では、スタジオでミュージシャンたちに遠慮なく指示を飛ばす。曰く「甘やかしたところでそいつのためにならん」。
アレサの旦那とホテルで殴り合った話や、アトランティックのやり手プロデューサーであるジェリー・ウェクスラーとの仲違い、オールマン・ブラザース・バンドをスルーしてしまった話などがリックによって語られる。
リック・ホールを主役として劇映画として仕立ててもおもしろいものができるのではないか。バリー・ベケットらが独立する旨を伝えにリックの部屋を訪ねていく場面や、ハイになって良い気分のミックやキースが来訪する場面は良いシークエンスになりそうだ。ぜひとも『ウォーク・ハード ロックへの階段』のようなコメディにしてほしい。さすがにあそこまでやってしまうのはいささか心配ではあるが。何の心配をしているのだろうか。
映画鑑賞後、改めてマッスルショールズがらみの音源を聴いているのだが、第3期ハウスバンドであるFame Gangの演奏が自分の好みのようである気がする。リズムの質感が軽やかだからか。
映画では主役級であった「スワンパーズ」にしても独立後のステイプル・シンガーズの“I’ll Take You There”といったラテン風味の隙間のある演奏が好きだ。
ただ、タイトルバックで流れる“Land Of 1000 Dances”の巨石が迫ってくるような音を聴くと否応なしに高まる。やっぱりトミー・コグビルのベースが好きなんだな。
などと言いながらメンフィス・ボーイズのコンピを聴くと、良い。マッスルショールズとスタイルは似ているが、アメリカン・サウンド・スタジオの演奏のほうが口当たり(耳当たり)が軽やかではないか。そうなるとフェイムはエビスか。

 

ギターの元ネタと埒外にいることについて

過日、打ち上げの席で、対バンの方から、あなたのギターの元ネタはなんですか?と聞かれて困ってしまった。頭がクラクラしてしまったのだ。
あの曲のあそこの元ネタは何ですか?といった具体的な質問であればまだ答えようもあるけれど、そういう細かいところをまとめてパッと手短に伝えるのは至難の業だ。今までに一度もうまく答えられたことがない。
また、こういった話題は、「文脈」とか「90年代的編集感覚の是非」、「オリジナリティとは何か?」、「スノビズムについて」、「パクリの定義」といった、一家言の飛び交うややこしい話題に飛び火しそうで、いつも及び腰になってしまう。
「どう答えたらいいもんか」と唸っていたら、「ぼくはWeenを感じました」という言葉を頂いた。寡聞にしてそのバンドについては名前すら知らなかった。
家に帰ってからYouTubeで聴いてみたらこれがすこぶる良くて驚いた。よくぞ言い当ててくれました!という思いだ。早速amazonでCDを2枚注文した。
現時点ではYouTubeでさらっと聴いた程度だから、あまり下手なことは言えないが、直接的な類似はさほどないように思われる。しかし、これほど聴いていて自分にしっくりくる音楽もそうそうない。ある人がそういう音楽を称して肌着のような音楽だと言っていた。まさにその肌着のような音楽である。
そういう音楽を言い当ててくれた彼は分母分子でいうところの分母の奥のほうまで「感覚的に」見通していたということだろう。いやあ、嬉しいな。
「スキルアップ」のミュージック・ビデオを作ってくれたOTAMIRAMSのハクさんに、「とりいくんを感じた」ということで、イギリスの再発レーベルAceから出ている『Birth Of Surf』というコンピを頂いた。このCDはディック・デイルやデュアン・エディ、リンク・レイなど、初期のエレキインストを集めたものだ。こういう粋なプレゼントは本当に嬉しい。
たまに、DJをしたときのプレイリストを書いたブログの記事を読んだという方から、そういうのが好きならこれなんかどう?と自分の知らない音楽をオススメされることがある。こういう思いがけないプレゼントがやはり嬉しい。自分の手の届く範囲なんてのはたかが知れているから予想外のサジェスチョンはとても有り難い。
こういうことがあって、受信をするためには発信しなくちゃいけないんだとわかった。そう考えると普段の無口も考えものだが、それはまた別のお話。
ところで、下半期のテーマを「埒外」に決めた。まだ上半期がひと月残っているが、今は下半期に向けての準備期間だと考えて、良しとしたい。
さて、「埒外」について。金輪際、外的な要因に左右されながら自分の行動を決めるのをやめて、自発の心を大事しようと思った。
「疎外」というものは、外的要因に重きを置いた受動的な態度から生まれてくるのだと思う。周囲の環境に何かを期待するから「疎外」を感じるのではないか。端から「埒外」に身を置いて、何事も自分の心次第と考えていたほうが気楽であるような気がする。
「象のラジオ」の収録で「目標は何ですか?モチベーションとなるものは何かありますか?」という質問があった。俺はそのときに自信をもって「ない」と答えた。そこに「慣性の法則に従ってスーっとやっているだけです」と付け加えた。今にしてみると、我ながらなかなかいいセン行っていたと感じる。
おそらく質問されたときに、「目標」や「モチベーション」といったものを外的要因という意味合いで捉えたので、そういうものに左右されたくないという願いこめて「ない」と答えたのだろう。個的な高まりを重視したいということが念頭にあったのだと考えられる。しかし回答としては意図したところが伝わりづらくあまり良い物とはいえないだろう。
また、「慣性の法則」という言葉を「惰性」と捉えた場合、「何だスカしやがってコノヤロウ気取るな」と思う人もいるかもしれないが、「現に動いている最中なんだから、動機付けも何もないよな」と思って「慣性の法則」という言葉をあえて使ったといえよう。
「埒外」に身を置くことと、自分の殻に閉じこもることは少し違う。「埒外」の「外」を規定するのはあくまでも「埒」である。「埒」と自分との関係性を抜きにして「外」は成り立たない。だから「埒外」は決して「断絶」ではない。「埒外」は「埒」と地続きだから自由に行き来することができる。
わざわざ人の家まで出かけていって、「しけてんな!茶ぐらいだせや!」と憤慨するよりも、辺境に身を置いてときどきやってくる旅の人にお茶を出すぐらいがちょうど良いのではなかろうか。そうするとたまに遠いところのおみやげをくれる人もいる。

 

素面の恥ずかしさ

最近、飲んで酔っ払う機会が多くて弱っている。というのは、記憶が曖昧になって困るということだ。あれは夢だったのか、飲みの席の話だったのか、それがわからなくなって、なんだか不安になってしまう。

近頃見る夢といえば、バンドのために作った曲の断片を最近対バンしたばかりの女の子に全然良くないよとダメだしされたり、バンドメンバーに生活態度について説教されたりする妙にリアリティのある夢ばかりだからますます判断に困ってしまう。

この間、寝る前にSound Wayというレーベルが出しているナイジェリアのコンピCDを聴いているときに飲み会での自分の発言が蘇ってきてしまって恥ずかしくなってしまった。

おそらく「最近はどんなの聴いているんですか?」という質問をされたからだと思うのだけれど、自分はアフリカの音楽について語りだしたのだった。

「最近はアフリカ音楽聴いててね。フェラ・クティって人が一番有名なんだけど。Afro-Rockってコンピが良くてさあ。あとStrutっていうレーベルから色々出てんだけどねぇ、ドンシャリというかコンプで潰したような音であまり好きじゃないんだよなあ。似たようなレーベルにSoul Jazzってのがあるんだけど、そっちのほうが好きだな!」

こういう具合に口からデマカセを吐いてしまっていたのだった。何をイッチョマエに語っているのだろうか。だから酔っ払うのはイヤなんだ。

Strutというレーベルはコンパス・ポイントで録音された曲を集めたものや、オーガスト・ダーネルがらみのシングル集などを出してて、素敵なレーベルなのだが、音が棘々しくって、実際の話、聴いていて疲れるというのはある。

また、Afro-Rockというコンピが素晴らしいのはウソではない。特に一曲目Jingoというアーティストの“Fever”という曲は本当に格好良い。ドラムのリズムはハチロクなんだろうけれど、途中で頭がどこかわからなくなる。こういうのをポリリズムっていうのだろうか。

Kelisというネプチューンズの肝入で2000年頃にデビューしたR&Bシンガーがいて、彼女が最近発表したシングルのトラック“Fever”を下敷きにしていてびっくりした。気になる人は是非聴き比べてみてください。

Kelisに関していえば、何よりスモーキーな声が好きで、ネプチューンズではなくてダラス・オースティンという人がプロデュースした“Trick Me”という曲が好きだったりする。ダラス・オースティンといえば、日本では安室奈美恵をプロデュースしたことでも有名だ。親戚のオバちゃんがその頃のアムロちゃんを「演歌っぽくなったね」と言っていたことが印象に残っている。

アフリカ音楽のCDが一番充実しているのは、自分の知る限りでは、ディスクユニオン新宿本館のラテンフロアだ。ここを物色する際にしゃがみこんで隅々まで見るのだが、立ったときに毎回立ちくらみでフラフラしてしまう。貧血気味なんだろうか。お店の人に迷惑はかけたくないので、なるべく倒れたりはしたくない。

取り留めのないことばかり言っているのは、今日もアルコールが入っているからで、明日には後悔するのだろうけど、後悔するから良いのだと思う、お酒は。

 

オチのない話

新宿駅での出来事。明大前で人と会う約束があったので、滅多に利用しない京王線の構内を歩いていた。家路に就こうとする人で構内は混んでいた。

改札を抜けてホームへ続く階段を降りていると、脛に何かがぶつかった。立ち止まって顔を上げると大学生風の若い男がこちらを見つめていた。この男が誤って何かをぶつけてしまい、それを詫びようとしているのかと思えた。しかし男は黙っている。うまく言葉が出てこないのだろう。

しばらくの間、見つめあいが続いた。よく見ると男の目は充血していた。無表情ではあったが、鼻息が荒くどうも興奮している様子だった。こちらが気付かないうちに男に何かしてしまい、それに怒った男が脛に蹴りをいれてきたのかとも考えられた。何か文句を言ってくるのかと思って、ずっと言葉が出てくるのを待っていたが何も言う様子がない。

埒が明かないので、状況が掴めないままホームに向かって歩きだした。すると、男も俺の横にぴったりついて歩き出した。立ち止まって男の顔を見ると、黙ってこちらを見つめ返してきた。無視して歩き出すと今度は後ろに回ってついてくる。また立ち止って振り返ると男も動きを止める。男の足は震えていた。

ホームへ降りると、また俺と男の見つめ合いが始まった。どう声をかけていいのかわからなかった。俺が「あ」と言いかけると、男は急に踵を返して何事もなかったかのように列に並び始めた。俺は男と距離をとって電車を待った。

ホームに電車が到着した。車内に男の姿を見つけることはできなかった。どんどん人が乗り込んできて、やがて身動きが取れなくなった。電車が走りだした。脛に鈍い痛みに残ったままだった。

話はここで終わりで、特に続きがあるわけではない。拍子抜けはこちらも一緒である。

これはいわゆるところの「オチのない話」だが、「オチをつけなかった話」とも言えるわけである。対処の仕方如何では、立派なオチがついたかもしれない。

「なんなんですかアナタ!人のことジロジロ見て!何か言いたいことがあるんですか!」なんて言えば、また違った結果になっていただろう。しかし、相手の出方を窺うばかりで、特に自分から働きかけることを避けた。

どうやらオチは自然につくものでないようだ。おそらく、自分で積極的に働きかけないことにはつかないものなのだ。話上手の人は普段から話にオチがつくように意識して行動しているのだろう。

そうか、オチをつけるのは作為だったのか。どうりで自分の身には「おもしろい出来事」が起こらないはずだ。今まで全然気付かなかった。ああ嫌だ嫌だ。

そう思うとオチオチしていられないね。

 

辛いものより甘いものが好き

スタジオの帰り道、腹が減ったのでご飯を食べようということになり、博多天神というラーメン屋に入った。いつもは「とんこつ」を注文するのだが、その日は趣向を変えて「辛とんこつ」を注文した。コチュジャンともやしが入った小鉢が運ばれ、続いて通常のとんこつラーメンが運ばれた。これにコチュジャンを投入して頂くということである。食べてみるとこれが意外に辛く、食べ終わった頃には口内がヒリヒリして痛かった。

その夜は腹痛で目が覚めてしまいよく眠れなかった。翌朝も電車の中で腹が痛くなったりして大変だった。その夜H Mountainsのライブで顔を合わせた吉田くんに、下痢になっていないかと尋ねたら、帰り道に腹が痛くなり小走りで家に向かったと言っていた。

「辛辛魚」というカップラーメンがある。以前、高野さんから振る舞われ、美味しく頂いたという記憶があったのでファミリーマートで見かけたときに購入した。これが一口目から尋常ではない辛さで大変だった。「ひゃー、ああ、っさー、っさー、ああ!うあ!うぉう!うぉううぉう!っさー!」などと言って辛さをごまかしていたが大して効果はなかった。急いでごはんを電子レンジで温めて、ラーメンと交互に食べることで、なんとか完食した。その夜もやはり腹痛であまり眠れなかった。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんてことを云うが、「辛辛魚」の場合、唇、口内、喉、食道から胃腸にかけてずっと辛さに蝕まれることになる。尾籠な話でいささか恐縮だが、肛門まで辛い。

「辛さ」もここまでくるともはや「痛さ」でしかない。味覚よりも痛覚が刺激される食べ物だ。それでも、あえて「辛さ」という、味の範疇に収まるタームを使うのだから、何が何でも食べてやるという気概を感じてしまう。実際、「辛辛魚」を食べた翌日、「今日は美味しく食べられるのでは」という気持ちがどこからか湧いてきて、また食べてしまった。もちろんその日も腹痛で寝付けず、トイレとベッドの往復で夜が明けてしまった。

こんなことを書いていたら、また食べたいという気持ちが湧いてきてしまった。辛さの無間地獄だ。

ところで、肛門まで甘くなるような食べ物ってないよね。

 

ケース考

周りのギターを弾く人に比べると自分はエフェクターに対する興味が薄いかもしれない。エフェクト自体には興味がないわけではないが、エフェクターという機材そのものとなると話は別で、どうにも食指が動かないのだ。昔からそうだったわけではなくて、10代の頃は「ビッグマフってぇのはさぞかしすごい音が出るんだろうなあ!」などと思ったものだが、今となっては周りにそんなことを言う人は一人もおらず、ハンドメイドのものや生産中止のレアなエフェクターの話についていけなくて困っている。

こんなことを言ってしまうと、ギタリストとしての自覚が足りないと人から思われてしまって、昔憧れた機材がらみの取材なんてものは今後一切期待できないだろう。そんなわけで「ギターの機材に対してあまり興味が湧かないマガジン」の創刊が待たれる。

エフェクターに興味をもてないでいるのは、ケースという要因も影響を与えていると思われる。一般的なエフェクターケースの、あの物々しいゴツゴツした形状が気になってしまって、どうしてもあれをもつ気になれない。

「それには共感できる」という人は結構いると思う。実際、アンティークショップで買ったと思しき小型のトランク鞄にエフェクターを詰め込んでいる人などもたまに見かけることがある。それを見てかっこいいなあと思うのだが、自分がやっても人から茶々を入れられるのが関の山だろう。お洒落な人は見た目だけでなく生活態度から徹底しているので、トランク鞄をエフェクターケースに使用することもごくごく自然なものに見える。自分のような半端な者がやったところで、トランク鞄だけがきっと浮いて見えることだろう。こういうときに中途半端な自分が情けなくなる。

なにか良い手はないかと、ネットでエフェクターケースを探しているときに、フェンダー製のツイード張りハードケースを模したものを見てなかなか良いなと思った。たまたま対バンの人が使っていたので、眺めていたのだがどうもしっくりこない。サイズの問題だろう。もう少し横に長ければ印象も変わっていたはずだ。しかし、自分は使うエフェクターが少ないので、横長のそれはまったくもって必要ない。

現在は肩がけできる布製のケースを使用している。買った当時は自転車で移動することが多く、肩がけできるものが欲しくてそれを選んだ。今では年季が入ってかなりクタクタになっており、腰にあたる部分が湾曲を描いている。見た目に関してはまったく気に入っていない。無駄なポケットが邪魔臭い。

無駄なポケットといえばギターのソフトケースにもたくさんポケットがついているが、あれがそれほど必要だとは思えない。そもそもギターのソフトケースというものも、見た目にかなり難があるように思える。一向に洗練される気配がない。

いまだかつてギターケースが「かっこいいもの」として世の人々に認識されたことは一度もない。ギターケースを背負ったロックスターの写真が一枚も残されていないのがその証拠である。ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックス、キース・リチャーズ、ジョニー・サンダース、カート・コバーンがギターケースを担いで格好良くポーズを決めている写真を見たことがあるか。おそらくこれらロックのカリスマたちも、「ギターはいつだって最高さ。だけど、あのソフトケースって代物だけはいただけないな」と思っていたはずだ。

「ギターケースといえばこれ!」という定番になるようなものが一日でも早く作られることを願っている。変なヒモをつけたり、どでかくロゴをいれるなど言語道断である。無難であればそれで良い。そんなに難しいことか。

「ケースを気にするなんて馬鹿らしい。中身であるギターが何よりも大切なのだ!」なんてことをおっしゃる方もみえるだろうから、そういう人のために中が丸見えのビニール製ケースなんてものを考えた。自慢の愛器を見せびらかすことができて、ビンテージギターを所有するお父さんなんかに好評を博すと思うのだがどうだろう。

 

カードはいらない袋をくれ

先日、荷物をAV(オーディオ・ヴィジュアル)ショップの紙袋に詰め込んで出かけたところ、会った人に、それはなんだと聞かれたので、今日の荷物だと答えたところ、笑われてしまった。紙袋なんか使ってるのかというのである。また別のときに、携帯や財布、文庫本などをディスクユニオンの袋に入れて持ち運んでいたら、バンドメンバーに笑われたこともあった。みすぼらしいからやめたほうが吉、との忠告をくれた。

中高生の時分、洋服屋の袋に体操着をつめて登校する者が多かった。男子ならBEAMS、女子ならHYSTERIC GLAMOURなどのビニール袋を肩に掛け通学路を闊歩していた。自分もその一員であった。その名残だろうか、お店でもらった袋類をとっておく癖がついてしまった。ケチくさいと云って笑う人もいるかもしれないが、大量のCDを買い取りに出しにいくときなんかに重宝するので紙袋も侮れない。お店の人も気を使って「紙袋はこちらで処分いたしましょうか」などと聞いてくれることもある。荷物が減って大助かりである。

様々なシーンに対応できるほど鞄を豊富に所有しているわけでないので、いつもより荷物が多いときなんか困る。それもたまのことだから新たに購入する気も起こらない。袋となれば多種多様のサイズを取り揃えているので、現状困ることはないのである。大小いくつもの鞄を揃えておくのが大人の嗜みであるとは思うのだが。

一方で、「男子たるもの手ぶらでまちをゆけ」というようなことを言う人もいる。たしか西洋の服飾文化に詳しそうな人の本に書いてあったと記憶する。たしかに英国紳士の出で立ちを想像してみても、トートバッグの類を持ったところはあまり浮かんでこない。アメリカの男子代表であるところのカウボーイが持っているものといえば、腰にぶら下げたピストルとウイスキーの小瓶ぐらいなもんで、リュックサックを背負ったカウボーイが登場する西部劇なんてのはついぞ目にしたことがない。所を日本の移してみても、巾着袋を手首に下げたお侍さんなどは想像しにくいし、服飾文化の権威が言っていることもあながち間違いとはいえないだろう。

そうはいっても、財布や携帯などの細々としたものをズボンのポケットだけに納めようとするとこれが大変である。ジーンズのお尻がパンパンに膨れ上がっている様はなかなかに不格好だし、ポケットからはみ出した財布から、飲食店のポイントカードやら病院の診察券やらがさらにはみ出しているところを見ると情けない気持ちになってくる。

そもそもの話、財布の中身がカード類で今にもはち切れんばかりになっているのが問題なのだ。最近はだいたいどこへ行ってもやたらとカードをもたせようとしてくるからいけない。銀行、病院、コンビニ、レンタルビデオ屋、鉄道会社、美容院、漫画喫茶、靴屋、居酒屋など、枚挙に暇がないとはこのことである。

企業側は「あいつら、カードさえ渡しておけば、バカみたいに喜ぶからな!ガハハ!」などと考えているのだろうか。ドラゴンボールやSDガンダム、遊戯王、さらにはポケモンという前例があるとはいえ、あんまりだ。悔しい。

むしろ、そのためのカードダスやポケモンカードがあったとは考えられないか。幼いころからカード慣れさせておこうという魂胆だったのではないか。なんて奴らだ。腹が立ったので財布の肥やしとなっているカードは処分しようと思う。そしてこれからはもう一切ポイント類を貯めないことにする。

しかし、一生のうちもう二度と訪れることがないであろう地方にあるネットカフェの会員証などを見てしまうと、なんだか趣があるように感じられて、これがなかなか捨てられないのだ。

増え続けるカード類と袋類に囲まれてそんなことを思ったのである。

 

街中のフェードイン/フェードアウト

日暮れ頃の新宿駅南口前の通りはストリートミュージシャンが集まるようになっていて、南口から東南口までの間に多いときで5組ぐらいのミュージシャンがいることもある。この通りを歩いていると、天然のフェードイン/フェードアウトが聴けてなかなか楽しい。

ストリートミュージシャンというと、一般的にフォークギターの弾き語りというイメージがあるけれど、むしろそういう人はあまり見かけない。キーボード弾き語りの人、カラオケに合わせて歌う人、バンド編成の人たちなどが多い。バンド編成の場合、ドラムの役割はカホンが担っている。小ぶりのシンバルなども用意されていて機材はなかなかの充実ぶりである。

昨今は、どのような演奏形態をとっていてもマイクとアンプが必須アイテムであるようだ。あるときビートの利いたトラックを流しながらフリつきで歌う二人組が衆目を集めていた。その横にフォークギターを抱えた男性が立っていて、二人をうらめしそうに見つめていたのが記憶に残っている。

東南口の階段を降りて、フラッグス脇のスタバなどが並ぶ通りを歩いていると、ケバブ屋からスパイスの香りが漂ってくる。腹が減っているときなどは、食道がパカっと開き、鼻から胃にかけて一直線に香りが流れこんできて、堪らない気持ちになる。胃の中のひな鳥たちが餌を求めてピーチクパーチク騒ぎ出すのがわかる。

しかし一瞬にしてひな鳥たちは気絶してしまう。ケバブの膜を突き破って棘々しいケミカルな臭いが胃に雪崩れ込んでくるからだ。その臭いを放っているのはケバブ屋の先にあるLUSHである。ケバブにかぶりついて咀嚼すると、LUSHの入浴剤が口中に拡がり、見る見るうちに泡だらけという場面を想像してしまい、思わずえづいてしまう。きっと胃の中のひな鳥たちも泡を食っていることだよ。

件のケバブ屋はもう何日もシャッターが降りたままなので、ひょっとすると店じまいしたのかもしれない。LUSHの近くでテイクアウトオンリーの飲食店を続けるのは難しいことだと思う。ケバブのような香りの強い食べ物なら尚更である。あそこは香りのフェードイン/フェードアウトが味わえる希有な場所だったから残念といえば残念だ。

ところで、香りのフェードイン/フェードアウトで思いついたのだが、DJ、VJに続いてPJなんてのはどうだろう。PJとはパフューム・ジョッキーの略である。なんだか芸能人と結婚できそうな雰囲気が漂う肩書なので、誰かやったらいいと思う。オススメ。