「底辺にfix」 3/1 秋葉原Club Goodman

去る3月1日、のびたさんとたっちさんの企画「底辺にfix」にて幕間BGMの選定を行ってまいりました。

以前、H MountainsのKJ氏から誘われて同じくグッドマンでDJをした際に、たっちさんが私の選曲を気に入ってくれたのがキッカケで今回お声がけいただいのであります。選曲の機会を与えていただけるのは実に嬉しいことです。ちなみに告知などに記載されていた「選曲家鳥居」という名のゴッドマザーもたっちさんです。

私が「選曲家」という肩書を初めて目にしたのは桑原茂一さんのインタビュー記事に添えられたプロフィールを見たときでした。「世の中にはそんな肩書があるんだなあ。僕もなれたらいいなあ、選曲家。」などと安易に考えたものです。そして、「日本音楽選曲家協会」なるものを知りました。発起人はやはり桑原茂一さんです。そんな立派な協会を前に私なんぞが選曲家と名乗るのはいささか身の縮む思いです。これからはアマチュア選曲家、略して「アマ選」と名乗ろうか、などと考えている啓蟄の候であります。

終演後、たっちさんよりプレイリストをブログにあげてほしいとの声をいただいたので記憶を頼りにここに記していこうと思います。ちなみにリストの見方ですが、左からアーティスト名、曲名、収録アルバム名となっております。

・開場

Marcos Valle – “Flamengo Ate Morrer” – Previsao Do Tempo
Ron Davies – “Misty Roses” – U. F. O.
Kevin Ayers – “Town Feeling” – Joy Of A Toy
Gregory Allan Fitzpatrick –  “Andra Satsen” – Snorungarnas Symfoni
ZNR – “Enchevetrement Desordonne” – Traite DeAndrea Satsen Mecanique Populaire
Moebius & Plank – “Two Oldtimers” Rastakraut Pasta
Shuggie Otis – “Sparkle City” – Inspiration Information
The Workshop – “You Can be Good At Things” – Welcome Back To Workshop

・堀田ダチオ

Kid Creole & The Coconuts – “There’s Something Wrong In Paradise” – ZE Records Story 1979>2009
Malcolm McLaren – “Double Dutch” – Duck Rock

・H Mountains

Yoko Ono – “Give Me Something” – Double Fantasy
John Lennon – “Clean Up Time” – Double Fantasy
Rick James – “Cold Blooded” – Bustin” Out
Tom Tom Club – “Wordy Rappinghood” – Tom Tom Club

・HALF SPORTS

Silver Apples – “You And I” – Contact
Picchio Dal Pozzo – “Strativari” – Abbiamo Tutti I Suoi Problemi
Aksak Maboul – “Bosses De Crosses” – Un Peu de l”Ame des Bandits

・空間現代

Jingo – “Fever” – Afro-Rock – A collection of rare and unreleased Afro-Beat quarried from across the continent (Vol.1)
Lijadu Sisters – “Danger” – Danger 
Biginning Of The End – “Funky Nassau Part1 – Funky Nassau
Kid Creole & The Coconuts – “I’m a Wonderful Thing, Baby” – Tropical Gangster
Tom Tom Club – “Genius Of Love” – Tom Tom Club

・KIRIHITO

Timmy Thomas – “Why Can’t We Live Together” – Why Can’t We Live Together: The Best Of The TK Years 1972-“81
Todd Rundgren – “A Dream Goes On Forever” – Todd
Shuggie Otis – “Strawberry letter 23” – Inspiration Information
Makers – “Don”t Challenge Me” – Personal Space: Electronic Soul 1974-1984
Young Marble Giants – “Ode to Booker T” – Colossal Youth
Die Doraus & Die Marinas – “Fred vom Jupiter” – Ernte
Steely Dan – “Deacon Blues” – Aja
Novos Baianos – “Tinindo-Trincado” – Brazil ’70
The Meters – “Sing A Simple Song” – The Meters
Muffins – “The Adventures of Captain Boomerang (for Mike Forrester)” – Manna Mirage
Contrast – “Street Talk” – Tantalize

・終演

今まで4回程DJをする機会がありましたが今回が最長でした。ここに来て余裕や欲も出てきたと同時に、至らない点も目につくようになりました。ひとまず初心に立ち戻りたいと思います。あの頃はミキサーに触れる手も震えていました。人生はスリル。ああいったビクビクを友としたいものです。再び機会があるのか全くもって不明ですが、次があるのならば、これが最後だと心して挑むことにします。

ところで、企画名の「底辺にfix」ですが、これは業界用語でしょうか。夙川アトムがネタの中で「テッペン、フィックスで」と言っていたのを思い出しました。

 

Louie Louieの勉強「ルイ・ルイ・シー・クルーズ」

ジャズ評論家・油井正一氏の「ジャズはラテンの一種である」という言葉を聞いて、細野晴臣氏は「ロックもラテンのなれの果て」ではないかと思ったそうだ。そんな説を裏付ける例の一つとしてロック史に灼然と輝くクラシック中のクラシック”Louie Louie”がどうにもぴったしくるから嬉しいではないか。皆さんも”Louie Louie”を巡る航海へ出てみませんか!(「地平線の階段」調)

“Louie Louie”といえばThe Kingsmen、The Kingsmenといえば”Louie Louie”と言っても過言ではない。”Louie Louie”は63年発表のシングルで、64年1月には2週に渡りキャッシュボックスのシングルチャート1位を獲得。ちなみに翌週の1位はビートルズの「抱きしめたい」だ。
お馴染み「タタタ・タタ/タタタ・タタ(I-IV/Vm-IV)」というリフのリズムパターンはギターとベース及びエレピが担っている。
さて、このThe Kingsmenのバージョンは「原曲」ではなく、Rockin’ Robin Roberts & The Wailersによるカバーバージョンをお手本にしたそうだ。

こちらは61年のシングル。発売から1年後の1962年、The Kingsmenの面々がライブのためにクラブに集まっていたところ、この曲がジュークボックスから何度も何度も流れていたそうだ。フロア中の若者たちが踊り狂うのを見て、ボーカルのジャック・イーライ氏は「この曲をやれば大ウケ間違いなし」と確信。これがThe Kingsmenが”Louie Louie”を取り上げるまでの経緯である。
Rockin’ Robin Roberts版のアレンジでは「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは主にギターとサックスによって演奏されている。
ボーカルを担当するRockin’ Robin Robertsは高校生の頃にR&Bに狂い、黒人居住区でレコードを買うようになったとのこと。芸名は、Bobby Dayのヒット曲“Rockin Robin”(58年)から頂いたそうだ。その歌唱にはやけっぱちな黒さが感じられる。それは「イェイェイェイェ〜!」の部分やギターソロ前の半ばヤケクソな「Let’s give it to ‘em, RIGHT NOW!!」というシャウトなどに顕著に表れている。
バックをつとめるのはガレージ・ロックの始祖の一つであるThe Wailersで、59年に”Tall Cool One”というインスト曲でローカルヒットを放っている。
さて、Rockin’ Robin Robertsが聴いたオリジナルとはどういったものだったか。

57年のシングル。ベリーの歌唱はロバーツと比べるとさほど荒々しくはないが、甘く危険な香りが漂っている。発声に含ませた吐息には色気がある。だ”Louie Louie”という歌は船乗りの欲求不満を歌ったものであるからして色っぽく歌われてしかるべきだ。
ベリーは元々Flairsというドゥーワップグループの一員であった。Flairsは53年に“She Wants To Rock”というシングルを録音しているが、実はそのときのプロデューサーがリーバー/ストーラーであった。後のThe Coastersとして知られるThe Robinsの“Riot In Cell Block #9” のために低音ボイスのボーカルを探していた彼らの依頼で、ベリーはノンクレジットでリード・ボーカルを担当している。
オリジナル版”Louie Louie”のサウンドのメインはやはりコーラスで、Aメロは低音と高音が互いに合いの手を入れるというアレンジとなっている。楽器隊も各パートが抜き差しの妙で組み立てていくアレンジは非常に洗練されていると思う。こういった音の組み立て方をファンク的というのは言いすぎだろうか。
この曲でドラマーが叩いているのはストレートなエイトビートないしバックビートであるが、その始祖はアール・パーマーと言われている。50年代のロックンロールやR&Bにはまだスウィングの残り香があり、楽器によってリズムが跳ねていたり跳ねていなかったりする。このハネとタテの感覚が絶妙に混じったリズムを細野晴臣は「おっちゃんのリズム」と名づけている。そこから縦割りのエイトビートに変化していくわけだが、そのビートが使用されたレコーディング第一号はLITTLE RICHARDの“Lucille”であるというのがもっぱらの定説となっている。奇しくもベリー版と同年の57年である。
さて、例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というリズムパターンであるが、原曲では低音コーラスが担当している。 Rockin’ Robin Robertsたちがこのリズムパターンを中心に据えてカバーバージョンを作ったということは、それだけこの低音ボイスのリズムパターンが強烈だったのだろう。そして、その印象に残るリズムパターンにもやはり親がいるのであった。

こちらはキューバ出身のピアニストRene Touzetがリーダーを務める楽団による演奏。57年のシングル。タイトルについているチャチャは50年代に流行したキューバ音楽の一つのスタイルだ。
50年代といえばマンボというこれまたキューバ生まれの音楽が一世を風靡した時代でもある。その筆頭格は「マンボの王様」ことペレス・プラードだ。その人気は日本にも伝播し、ご存知「お祭りマンボ」が美空ひばりによって歌われた。一方そのころ、キューバ国内で盛り上がっていたのはチャチャチャであった。迫力に満ちたホーンとパーカッションの応酬が目立つ熱っぽいマンボに対して、チャチャチャは優雅でスウィートな味わいのあるサウンドと軽妙なリズムが特徴である。
チャチャチャの第一人者はヴァイオリン奏者のエンリケ・ホリンという人物で、その代表曲であるところの「チャ・チャ・チャは素晴らしい(MILAGROS DEL CHACHACHA)」は世界中でヒットを記録した。日本でも雪村いづみ江利ちえみによって日本語でカバーされている。
チャチャチャは通常、バイオリン3~5にフルート、ピアノ、ベース、リズム・セクションという伝統的なチャランガという編成で演奏される。チャランガの編成でホリンに習いチャチャチャを取り上げたオルケスタ・アラゴンはキューバで大人気となり、長くその人気を不動のものとした。彼らの代表曲である”El bodeguero”はNat King Coleによって歌われている。
アメリカにおいてチャチャチャはポップソングの題材として取り上げられるほどの人気ぶりであった。59年のサム・クックのヒット曲“Everybody loves to Cha Cha Cha”だ。この曲で2本のギターが刻んでいるリズムはハバネラである。前述の「チャ・チャ・チャは素晴らしい」でもベースがハバネラを刻んでいる。
ハバネラは1800年頃フランス人によってカリブ海に持ち込まれたヨーロッパのカントリー・ダンスに黒人風のリズム感覚が加わって生まれたリズムで、4分の2拍子で演奏される「タタンタ・タンタン」「ターンタ・タンタン」というリズムが一般的なものだ。
世界で最も有名なハバネラは、ビゼーによるオペラ「カルメン」の中で歌われる、その名もずばりの「ハバネラ」であろう。ビゼーの「ハバネラ」にも下敷きになった曲があり、それはスペインの作曲家セバスティアン・イラディエルによる“El Arreglito”だ。イラディエルはキューバに住んでおり、そのときに大いにハバネラに魅せられ、帰国後、”El Arreglito”を作曲する。その後、世界中で演奏されることになる”La Paloma”を出版する。
ハバネラはアメリカン・ポップスの中でも頻繁に使われるリズム・パターンである。「ドン・ドドン・パン/ドン・ドドン・パン」のイントロでお馴染み、The Ronettesの“Be my baby”もハバネロの一種と見なすことはできないか。しかしこれをブラジル生まれのリズム、バイヨンだと言う人がいる。かのバート・バカラック御大だ。
先日読んだバカラックの自伝にバイヨンについての言及があった。これがなんとも素敵だったので少し紹介したい。バカラックがマレーネ・ディートリッヒのピアニストとして南米にツアーで出かけているときの話。リオデジャネイロに滞在中、ディートリッヒとバカラックは夜の丘を散歩していた。バカラックは街の方から聞こえてくるドラム・ビートに耳を傾けた。その時初めてバイヨンのリズムを耳にしたらしい。なんてロマンティックな情景だろう。続けてバカラックはポップスにおけるバイヨンの使用例を挙げている。そこでは”Be my baby”とともにThe Driftersの“There goes my baby”が挙げられている。バカラック自身もChuck Jacksonの“Any Day Now”で使ったそうだ。
それがハバネラかバイヨンかという問題はここでは保留したい。キューバのハバネラとブラジルのバイヨンがアメリカにおいて現地のフィーリングが薄れていくうちに何となく混じりあったと考えておくにとどめておきたい。
補足としてバイヨンが使用された曲を挙げておくと1953年日本公開のシルヴァーナ・マンガーノ主演のイタリア映画「アンナ」の主題歌である“Anna”や、イタリア映画の「高校三年」で取り上げられた“Delicado”あたりが有名だそうだ。ちなみに”Anna”は日本語でもカバーされており、歌ったのはここでも登場の江利ちえみだ。
バイヨンを使用した60sポップスで個人的に好きなのはRuby And The Romanticsの63年のヒット曲”Our Day Will Come”。エイミー・ワインハウスのカバーでご存知の方も多いかもしれない。”Our Day Will Come”はブラジル音楽的なアレンジが施されている。63年頃は曲名に”Bossa Nova”が入ったヒット曲が見受けられる。クインシーの”Soul Bossa Nova”(1962)や、マン/ウェイルのペンによるEydie Gorméの”BLAME IT ON THE BOSSA NOVA”(1963)、リーバー/ストーラーのペンによるエルヴィスの”Bossa Nova Baby”(1963)など。”Bossa Nova Baby”に関していえばオリジナルである62年のTippie & The Cloversのバージョンのほうがブラジル風味ではある。これらは今日我々がイメージするボサノヴァとは異なるものだが、彼らが元ネタにしたブラジル音楽は一体なんであったのだろう。ちなみにその内容に賛否はあるもののアメリカでのボサノヴァ人気を決定付けた『ゲッツ/ジルベルト』も63年のリリース。また、ボサノヴァという音楽を世界に広めたとも言われる映画「黒いオルフェ」は1959年公開の作品。テーマ曲の”Manhã De Carnaval”は多くのミュージシャンにカバーされ、スタンダードとなっている。
さて、話を”Louie Louie”に戻そう。当時、ベリーはチカーノ系のR&B・ラテンバンドRick Rillera and The Rhythm Rockersに参加していたようで、”El Loco Cha Cha”は彼らのレパートリーであった。
例の「タタタ・タタ/タタタ・タタ」というパターンは”El Loco Cha Cha”においてはピアノとベースが担っている。このパターンはいわゆるクラーベから付点が取れたものではないかと踏んでいる。クラーベを直線的なリズムにアレンジしたものではないか、と思うのだがどうだろう。
ベリーが”Louie Louie”を書くにあたり参考した曲には、”El Loco Cha Cha”の他にChuck Berryのエキゾチック偽ラテン曲“Havana Moon”があったそうだ。歌はだいたい”Havana Moon”の平歌が下敷きになっていると言っていいだろう。また歌詞においてはジョニー・マーサー作詞による“One for My Baby (and One More for the Road)”から着想を得たそうだ。
ここでThe Rhythm Rockersについてのこぼれ話を。当時、The Rhythm Rockersの周辺には後のThe Righteous Brothersとなる二人がいたそうだ。彼らの最初のシングル“Little Latin Lupe Lu”の録音にはThe Rhythm Rockersの中心人物であるRickとBarryのRillera兄弟も参加している。そして、この曲がThe Kingsmenによってカバーされるのだから面白い。
キューバから運ばれた”Louie Louie”の種がアメリカの土壌の養分を吸って成長したのち、Kingsmenによって拡散された後、どのような形に変化していったのか。

ファズ!シャウト!ドタバタドラム!フェードアウトまで何か叫んでいる!欲求不満な感じがひしひしと伝わってきて最高。これまでの”louie louie”にあったノホホンとした所が一切ない。キーも長調から短調になっているが、これはSonics版をお手本にしたため。グランジの始祖ともいえるだろう。ちなみにSonicsは先述のWailersと同様、ワシントン州タコマのバンドで、Kingsmenはオレゴン州ポートランドのバンドでどちらも北西部。シアトルはワシントン州の都市だ。
一方、近い時期にラテンの極に的を絞った先祖帰りバージョンもあったりする

キューバ出身のコンガ奏者、モンゴ・サンタマリアによるカバーバージョンだ。
最後は、”Louie Louie”のカバーではないけれど、おそらく”Louie Louie”を下敷きにしたと思われる曲で締めたいと思う。”Louie Louie”は一人でカリブ海を航海する男が愛する女のもとへ帰る曲だったが、こちらは反対に、運命の女の子を探しに旅立つという歌。「小さい頃、おっかさんが言いました。いいかい、世界にたった一人だけアンタにぴったりの娘がいる。その娘はきっとタヒチに住んでる。行ってみよかな世界中。オイラはゆきます、その娘を見つけに。」という出だしで始まる。

“Louie Louie”は3コードだが、この曲はもっとシンプルに2コード。Wreckless Ericの歌心が如実に表れている。
なんで雨に濡れて泣いてんだろ、世界には女の子が溢れているっていうのに、と泣き言を漏らしたり、南国で暮らす娘の姿を想像して意気込んだり。少年っぽい声のWreckless Ericが力んでしわがれ声を作って歌うからまた泣ける。
取り上げた曲をSpotifyのプレイリストにまとめてみました。

 

遅刻はサブカル

九州ツアー出発の朝は早かった。7時発の東京駅八重洲口発成田行きのバスに乗らなくてはならず、メンバーの集合時間は余裕をもって6時半に設定された。

当日、5時に設定したアラームで一度起床した後、念のため二度寝をする。15分程して本格的に起床するために気持ちを整える。5時半頃、山本君より起床の確認メールが届く。返信。シャワーを浴び、着替えを済ました後、荷物を持って家を出る。水っぽい雪が降っていたためコンビニでビニール傘と朝食の菓子パンを購入。10分程かかる駅までの道のりを半分ほど進んだところで、足元に異変を感じる。もしやと思って目を向けるとやはり左右異なる靴を履いていた。左足はKedsのChampion OXFORDを履いており、右足はVansのEraを履いていた。どちらも黒だ。傍目にはわかるまいと思い、第三者目線をシミュレートして確認すると、思惑とは裏腹に両者の差異だけがやけに目立って見える。Kedsは革靴のようなシェイプがエレガントでいかにもプレッピーといった風情、方やVansはストリート育ちの無骨な作りが頼もしい。これは旅の恥の範疇に数えてもいいのか。いやそれ以前の問題だと判断し、家に向かって走りだした。

雪で足元がままならぬ中、傘を差しながらギターおよびエフェクター類を担いで走るのは大変骨の折れることであった。家までつくとVansを脱いで、Kedsを履いた。せめて足元だけはエレガントでありたいと思ったからだ。

息を切らし汗だくになりながら走ったら何とかバスには間に合った。もちろん集合時間には遅刻したが。

学生時代、サークルの打ち合わせのため皆で部室に集まるということが何度もあったが、必ず時間通りに来ない者が何人かいた。一度、先に来たものだけで遅刻について話したことがあった。約束に遅れて焦ると股間がキューっとなるから嫌だという人や、太宰治を引き合いに出してまあ実際待たせるほうがつらいってこともあるよななどとを言う人がいた。私は授業などは平気で遅刻するが人との約束はあまり遅刻しないということを言った。少々得意げな所が癪に触ったのか、黙って聞いていた後輩の女子が一言。「謝るのが嫌なだけでしょ。」

小学生のときの夏休み、最初の一週間は地区ごとのラジオ体操に参加しなければならなかった。毎年基本的に皆勤賞で休むことがなかったが、一度だけ寝過ごしてしまい開始時間に間に合わなかったことがある。会場に近づくとラジオ放送がスピーカーから流れているのが聞こえた。皆が放送に合わせて体操する所を見て完全に日和ってしまった。皆の視線を浴びるのかと考えると堪らなくなり、誰にも気づかれないうちに踵を返してメソメソ帰宅した。

遅刻には肝っ玉や器の大きさを測られるようなところがあって、恐ろしい。大物は遅れて登場なんて言葉も洒落で片付けられないような気がする。遅れても何となく許されてしまう人柄や愛嬌、機転が利かせられる頭の良さなんてのも試されているかもしれない。勘弁してほしい。

遅刻とは反対に、大事な用があるときに約束の場所に早く着きすぎてしまった際、人がどうしているのかが気になっている。例えば就職活動なんかで面接会場のビルに早く着いてしまった場合、私はちょうど良い時間が来るまでそのビルの周りをぐるぐる回ってしまう。同じようなことをしている就活生を目撃したことは一度もなかった。皆ちょうど良い時間を狙って移動しているのか。コンビニで立ち読みしたりして時間を潰すのか。不思議だ。

 
 

スキルアップ

1月27日(月)新宿LOFT BAR SPACE
トリプルファイヤー「スキルアップ」先行即売会 “面白いパーティー”
開場/開演:19:00/19:30
当日:¥1,000(※1drink込) 予約不要
出演:トリプルファイヤー / Emily likes tennis / 逃亡くそタわけ

スキルアップ
1. 面白いパーティー
2. ちゃんとしないと死ぬ
3. スキルアップ
4. Jimi Hendrix Experience
5. カモン
6. 本物のキーホルダー
7. 可能性が無限
8. 神様が見ている
9. ブラッドピット
2014/2/4発売
WAVE-02 / 1,890円(税込)

http://triplefirefirefire.tumblr.com/
 

 

なぜ動かないのですか?

―ライブ中、なぜ動かないのですか?

動いていますよ。動かずにギターを弾くことは物理的に不可能です。事実、右手と左手は動いています。楽曲の中でギターの音色に変化をつける場合、足元のエフェクターを踏みます。その際に左右どちらかの足を動かしています。

―そんなことはわかっています。そういうことを聞いているんじゃありません。ではこうしましょう。他のギタリストに比べてステージアクションが少ないと思います。何か理由があってアクションを起こさないんですか?

特に理由はありませんが、強いて言えば動くと気が散るからです。

―演奏に集中している?

そうです。あなたは勉強中に動きまわりますか?そういうことです。

―演奏と勉強は違うものだと思いますが。正直、動かないことで逆に注目を浴びようと思っていませんか。

それは一切ありません。私は常々、長いシールドを楽屋までひっぱってそこで演奏したって良いと考えています。ステージにはマネキンでも置いておけば良い。パイナップルか何かにシールドを刺してアンプと繋いで置いておくなんて手もある。しかしそういう突飛なことをするほうがよっぽど目立ってしまうでしょう。

―お客さんへサービスしようという考えはないのですか?

もちろん考えてはいます。しかしサービスということだけを考えるのならギターを選びません。ギターではなくバルーンアートや手品を選びます。あるいはもっと即物的に肩たたきなんてのも良いかもしれない。ただ現状としてバンドにそれらのパートはありません。

―なるほど。しかし退屈そうに演奏していたらお客さんも退屈してしまうのではないでしょうか。

それはあると思います。私も笑顔で楽しそうに演奏している人を見ると嬉しい気持ちになります。そういったライブではステージと客席の間で楽しさを共有できていると言えるでしょう。多くの人が集まるライブだからこそ、そこに集まった人たちの間で何かを共有したいと思う。そう考えると退屈も共有できるのではないでしょうか。

―多くの人がそんなものを共有したいとは考えないでしょう。しかし不思議に思うのですが、自然と体が動いたりしないものなんですか?例えば頭でリズムを取ったりだとか。

あなたはその質問を電車内でイヤホンか何かで音楽を聴いている人に尋ねますか?

―質問に対して質問で返さないでください。もちろん尋ねません。電車内では周囲の目もあって行動にブレーキがかかる。しかしステージはそういうものではありません。通常、動いてしかるべき場所だと考えられています。だからこそ動かないことを疑問に思うのです。

わかります。しかし動いてしかるべき場所で動くことを主体的な行動と呼ぶことが出来ますか。周囲の期待によって動かされているとはいえませんかね?

―自分でも驚いています。そういった話にはまるで興味がない。再び先の質問を繰り返します。自然と体が動いたりしないものですか?

しないものです。

―そうですか。

そもそもステージ上に自然なんてものはありません。ステージ上での行為は全て作為と見なすべきです。感情の昂りからギターを破壊する人います。一方、これは野暮を承知で言いますが、家で一人のときに感極まってギターを破壊する人はいません。ステージの上と下ではきちんと線引きがされている。ただ、そういった作為をいかにも自然に見せるのがやはり名人なのだと思います。それは世阿弥の「風姿花伝」にも書いてありそうなことです。

―なるほど。しかしステージ上の行動が全て作為であるなら動かないのも作為でしょう。わざとやっているということですよね。

そうなります。

―わざとやっているのならやはり積極的な理由があるはずでしょう。

そうですね。あの、ちょっといいですか。

―なんでしょう?

先ほどから聴こえてくるこのグッドミュージック、なんだか踊りたくなってきません?

―はい?

動く動かないなんてそんな話どうでもいいじゃないですか。このグッドミュージックにあなたとぼく。今ここで踊らないという手はありますか?

―ははは、酔狂な人だ。いいですね。踊りましょう。

では、失礼して。

 

蒼井優VS宮崎あおい

蒼井優好きの友人が言うには、蒼井優と宮崎あおいとの間に覇権をかけた戦いがあったらしい。もちろん彼女たちがキャットファイトを交えていたということではない。彼は蒼井優主演のドラマの受け入れられ方をみてその勝敗を判断しようとしていた。結局は彼女の負けだったらしい。それを受けて彼は「つまるところサブカルの弱さだよな」とこぼしていた。
宮崎あおいもどちらかといえば「サブカル」の範疇だろうと言う人もいるかもしれないがそうは思わない。”宮崎あおい=キムタク説”というのがある、自分の中だけで。単に両者の演技が似ているというただそれだけの話である。キムタクの演技に関して巷間で言われるクリシェはさて置くとしても、思わせぶりな仕草こそが演技であると観る者に有無を言わさず認識させてしまうカリスマ性が両者に共通するところであろう。キムタクがサブカルではないように宮崎あおいもまたサブカルではないということを思った次第だ。かと言ってヤンキーと言ってしまうのは憚られるが、この際ヤンキーと言い切ってしまおう。
またこれは別の自説だが、宮崎あおいは「シャマラン以外の映画には出演しないブライス・ダラス・ハワード」のような存在だと思っている。ブライス・ダラス・ハワードは主人公の男を袖にする利己的な人物を演じることが多いが、シャマランの映画に出ているときはイノセントな役割を演じることが多い。宮崎あおいも狡猾なカマトト役などやったら結構ハマると思うからそういう役をいっぱいやったら良いと思う。友人があるミュージシャンを「いじめっ子といじめられっ子を短いスパンで行ったり来たりする顔」と評していて、なるほど、と思ったことがあった。宮崎あおいにもそのような二面性を感じるといえば感じる。
それはさておき、宮崎あおいVS蒼井優という対決があったのだとすれば、それは同時にヤンキーVSサブカルの抗争でもあったと無理矢理見立てたうえで、話を先に進めたいと思う。
ここでいうヤンキーとは特定の生活ないし文化の様式に倣って生きる人たちを云っているのではなく、性格的な傾向を指すもので、それは「マチズモ」などと言い換えることもできるし、信ずるべき価値観に基づいたコンペティティブな場に参加することを自明とする人たちのことであるともいえよう。サブカルというオルタナティブな価値観が現前化してから、その反動として、事後的に自覚が促された層というか、単にアンチとしての保守反動というか、そういうもの一般を指して便宜的にここではヤンキーと呼んでいる。「マイルド・ヤンキー」といったどうでも良い感じの死語とは全く関係がない。
ヤンキーが覇道であるとすれば、サブカルは邪道である。サブカルは現に邪なものとして扱われている。蒼井優が好きと言おうものなら、「『世間の多数派とは異なる評価軸もった俺はかっこいい』という自意識が透けて見える」などといった地獄のようなおなじみの揶揄が飛んでくるだろう。サブカルは邪な魂をもった人間だと考えられている。翻ってヤンキーは純情な人たちとされる。
「テメェどこ中だコラ」というのはヤンキー流のおなじみの挨拶だ。やはり党派性の強い人ほど他人の党派が気なるもので、仲間ではない者は「何とか主義」という仮初の呼称を与えられ、敵対するものとして措かれる。ヤンキーの辞書に相対という文字はない。早い話が「タイマンはれやコラ」である。相対的であろうとすればをイモを引いたということになってしまう。そのあたりがやはり覇道である。いくらヤンキーといえども一人でビーチフラッグをするわけにはいかない。
岸田秀先生よろしくペリー来航のトラウマということで全て片がつく話かもしれない。ヤンキー対サブカルは幕末期における日米の関係の反復にすぎないと考えてみる。サブカルが辺境で細々とそれなりに楽しくやっていたら、ヤンキーが軍艦を従えてやってきたのだ。しかしこの来航には捻りがある。「ペリエとか飲んでんじゃねぇよ。おれといっしょに鎖国しろやコラ。」と言って迫ってきたのだ。ヤンキーという横文字の人たちがハイカラに対するバンカラという立場を取っているのが皮肉だといえよう。
ヤンキーへ意趣返しすれば良いというものではない。心情的に旗色の悪いサブカル寄りになってしまっているが、そもそもパックス・サブカルチャーナの確立を願っているわけではない。そんなものは矛盾である。ともかく優位を説くことは目的としていない。正味ここに落とし穴があってファナティックな態度を退けようと思ってもやり方がヤンキー的であれば元の木阿弥だ。「テメェ、ナンダそのファナティックな態度はヨオ!物事に懐疑的になれやコラ!思考停止してんじゃねぇよ!」そんなこと言われても、放っといて!ってなもんである。また、少しでも気の利いたヤンキーなら似たようなことを言うだろう。それに、ヤンキーはある意味で「居直りの権化」でもあるから、非難すればするほどそれを養分としてぶくぶくと巨大になっていく一方だ。対立項にヤンキーを置くことはヤンキーに加担することに他ならない。
物事を二項対立で捉えて考えることはわかりやすいし面白くもある。縄文VS弥生とか、平家VS源氏、倒幕派VS佐幕派などといった話は楽しい。また、片方がもう片方をやっつけるときの快感というのもあるだろう。踏み絵というものがある。やらされる方は堪ったもんじゃないが、させる方はさぞ気持ちが良いことだろうと思う。脳内でヤバイ物質が分泌されていそうだ。そんなもんは下衆でしかないが。下衆汁という名前をつけておこう。卑近な例で言うと飲み会で人に空気を読ませたときなどに下衆汁は分泌される。言いたくもないことを言わされるこんな世の中というのも一方ではあったりする。
自分や他の人が何かを語っても立場の表明にしかならないのかと思う。どうせサブカルでしょとか、どうせヤンキーでしょと言っておしまいだ。蒼井優が好きと言ったときの条件反射的な「『世間の多数派とは異なる評価軸もった俺はかっこ良い』という自意識が透けて見える」といった言葉するのも憚られるような紋切り型の反応のように、もっぱらそれを好きと言った人と自分との差異を確認することにしかならず、蒼井優という対象それ自体にまで話が及ばない場合が多い。
思春期を過ぎたら自意識がどうのといった話をしなくて済むものだと思っていた。好きなものそれ自体について自由に語ることができると考えていたが甘かった。今にしてみればそんな都合の良い話があるわけないと思う。パーマをあてて登校したら皆が絶賛してくれると思うのと同じ程度に見通しが甘い。似合ってないとか、おばさんみたいとか、急に色気づいてどうしたの?もてたいの?などと言われるのが世の常だ。蒼井優好きの友人が言った「つまるところサブカルの弱さだよな」とはむしろこの認識の甘さのことではないかと思う。
そもそもの話、何かものを選ぶという行為が争いに参入することなのかもしれない。例えばMacを選ぶということはウィンドウズへの宣戦布告と看做されるというように。実際にMacを使用する人がどれくらいの意気込みを持ってそれを使用しているか知るところではないが、見た目がイカすからMac買お、という軽い気持ちであったとしても、血なまぐさい争いに巻き込まれることは必至だ。こういったことが現実としてあることは受け入れておくべきだとは思う。かといって、別にやっつけたくないし、やっつけられたくもない。むしろここで漁夫の利を狙うという手もある。どのような利が得られるのか謎だが。 その利を想像すると全てがアホらしく思えてきて笑えるし泣ける。
文化的な恨みは食べ物の恨みの恐ろしさに勝るとも劣らない。他人の褌で溜飲を下げれば同時に必ず品位も落とすことになる。人を呪わば穴二つ。それでも愛されたいなどというのはあまりにも勝手すぎる。
https://www.youtube.com/watch?v=izqgebEnZzY

 

脳内バンド

友人がやっているバンドのライブを観に行った際、その日の対バンがライブ中に告知をしていた。今後のライブ予定をひと通り述べた後、それぞれのメンバーが別で活動しているバンドの告知も行っていた。キーボードの男性だけ特に他では活動をしていないようで、メンバーが「君は何かあったっけ?」とないことを知ったうえで一応聞いてみると、その人は「僕は脳内バンドの活動が…」と答えた。一緒に観に来ていた友だちが「暗ぇよ」と小声でつっこんでいた。

確かに暗いかもしれないが、誰でも一度は脳内バンドを組んで活動したことがあるはずだ。中にはポール・マッカートニーよろしく俺が4人いたらなあと考えたことがある人もいるかもしれない。

10代の頃は理想のスーパーバンドをよく妄想した。ボンゾ、エディ・ヴァン・ヘイレン、ジャコパス、ジョンレノンみたいな。さすがにこれは芸がなさすぎるが。しかし、年を取るとこういう遊びをしなくなるからいけない。

脳内バンドに比べて実際にバンドを組むということは非常に骨の折れることだ。まずメンバーが見つからない。メンバーを見つけようとした場合、まずネット上のメンボを覗くことが多い。

しかし、メンボを見てもまあ趣味の合いそうな人は皆無に近い。これは、と思うものがあったとしても、連絡するかといえばそうでもない。やはり躊躇してしまう。勇気を出して連絡したところで返事がないこともある。結局は見て終わりということが多い。

ところでメンボには本来の使い方以外にも楽しい活用法があることを知っているだろうか?まずギターを手にしてメンボサイトを閲覧する。これはと思うものがあれば、目指す音楽性の欄などを参考にして、こういう趣味の人たちならこういうギターが合うだろうと勝手にギターを弾いていく。言わば脳内セッションだ。飽きたら次のメンボ、といった具合に進めていく。時間を忘れて楽しめること請け合いだ。引き出しの数が試されるから学ぶことも多い。

話は戻って脳内バンドのこと。現在、”テニサーヒルズ”というバンドを構想中である。とりあえずバンド名だけ思いついた。

最近はバブル前夜あたりのリゾート感覚というか、ラグジュアリーな雰囲気が流行っているようだ。街を行く人の格好を見ていてもそう思う。山口智子を使ったサントリーオールフリーの広告もそういった類のものだ。自分は昭和62年生まれだからまだ生まれる前のことだが、その残り香のようなもの物心のつく前のことではあるにしても記憶にある。

遊び方を心得た大人達のハイカラな趣味の後に来るものはおそらく成金趣味だろうと思った。土着性に後ろ髪引かれつつ富裕層に憧れる中流のための音楽。それがテニサーヒルズの目指すところである。ただ具体的な音楽のイメージは全く湧いてこない。

そういったことを無視すれば、近頃”Gloria”や”You’re Gonna Miss Me”、”All Day And All Of The Night”といった曲をベロンベロンになってラフに演奏したいという意欲があるので、そこにテニサーよろしくコールを加えて演奏すればいいのではないかと考えている。メンバーが全員潰れたところでライブ終了。当方飲みに自信あり。

 

慣性の法則により放置

エアコンが壊れた。

実際の話、昨年の夏より壊れていたといえば壊れていた。冷房をつけると水が漏れるようになったのだ。今夏はティッシュペーパーを3枚程丸めたものをエアコンと壁の隙間に挟み込み、水をティッシュに吸収させた後、重力に従って落ちてくる所を2リットルのペットボトルで受け止めるという対処法を取っていた。26度に設定した場合、2時間程でペットボトルは一杯となる。赤ん坊のオムツを変えてやるつもりでこまめに水を捨てた。

しかし、なぜだかこれがうまくいかないようになり壁伝いに水が垂れて床が水浸しになるという事態が再び発生するようになった。そこで抜本的な問題解決の必要が生まれた。水が漏れるようになった原因は排水ホースに穴が開いているからである。排水ホースは壁に埋め込まれたパイプに接続されており、排水ホースの穴の空いた箇所はパイプの口に触れる部分であったため、ここにビニール傘から焼き海苔大に切り取ったビニール部分をあてがって水がパイプに流れ込むようにした。完全に水漏れがなくなったわけではないが、これでかなり改善されたのであった。しかしそれも束の間のことであった。ピーピーという微かな電子音が聞こえてくるので、耳を澄ますとエアコンがそれを発しているのがわかった。見るとエアコンは動いていなかった。リモコンの電源ボタンを何度押して反応することなく、本体のほうでオン・オフを繰り返してもうんともすんともいわずであった。素人考えを述べれば、おそらくビニールを雑にあてがったため排水が上手く行われずエアコン内に溜まった水が電気系統に触れてしまったためではないかと思っている。

大体こういうのは放っておけば直るものだという楽観性の下、数時間放った後、再び電源を入れようとするがやはりピーピーというだけである。

気休めに”エアコンなし 夏”というワードを検索にかけてみたりもしたが、黙ってエアコンつけろという意見が大多数であった。また、就寝中に起こったエアコンの故障が原因で熱中症になった人の記事などがヒットし、いよいよ暗い気持ちになってきた。 まだ残暑もあるというのに。気が重い。泣きたい。

しかしそのうちに、なきゃないでいいやという気持ちも生まれてきた。私は運命を受け入れる覚悟した。

いや、業者呼べよとか、不動産屋に連絡しろよと言う賢い方もおられることだろう。しかし私はもう覚悟を決めてしまったのだ。一度決めた覚悟を取り下げるというのは誠に面倒なのだ。例えば、何かしらの危機に見舞わされた人類の命運を背負って立ち、自己犠牲も辞さないと覚悟を決めたウィル・スミスあたりに、「あー、やっぱりあの話なしでお願いしますー!もう大丈夫らしいんで^^」と言ったらどうなるか。大変がっかりすると思うよ。

人間も慣性の法則に従って生きているに過ぎないと言った友人がいた。まったくもってその通りだ。何事も最初のひと押しが肝心である。

ちょっと待った。この先には冬が控えているではないか。絶句。

 

我がお師匠さん

極希ではあるけれど、おまえのギターは何を手本にしているのかと尋ねられることがある。これは聞かれて嬉しい質問であると同時に答えに窮する質問でもある。回答に窮する理由について述べようと思ったが底なし沼に嵌っていきそうだったので思い切って省略する。それでもやはり容易に答えられる質問でもない。今後いつ訊かれてもいいようにある程度の筋道は立てておきたい。

と、思ったがやはり面倒なことは一切捨て置いて、ここは勢いだけで好きなギタリストを挙げていこう。

ウィルコ・ジョンソン Wilko Johnson

右の手首の力を抜いた状態でピックアップに対しやや垂直気味に人差し指中指薬指の爪を弦にぶつける。6弦を弾く場合はテンションが高いブリッジ寄りをコンコンと叩く。こう弾くと小気味の良い締まった音になる。

「君、指で弾くんだね?ピックアップにもピークというものがあって下手くそが力んで弾けばやはり音は汚くなる。指で弾けばいい塩梅の音量になるからピックで弾くよりも良い音がするんだよ。」学生時代、ドクター・フィールグッドのコピーバンドをやった際にある先輩より言われたことだ。そういうもんなんでしょうか。

ウィルコ・ジョンソンのブラッシングの音はシュコシュコシュコシュコと聴こえるから、聴いていて悩ましいに気持ちになる。

右手のタイミングには揺れがある。“She Does It Right”のリズム・パターンはセカンドラインに近く、少しばかりシャッフル気味に弾いているような気がする。ブリッジ側からネック側へ行ったり来たりしながらストロークするためか。

女の子が生まれたら「ウィル子」と名づけたいと思っている。男の子だったら「ブリ郎」。

デヴィッド・T・ウォーカー David T. Walker

世の中にはエレガントなエロがあることを教えてくれた。 ニック・デカロ『イタリアン・グラフィティ』収録の”Under The Jamaican Moon”の前奏、間奏及び後奏における手練の技。大人の余裕を見せていたかと思えば急に少年のような茶目っ気も見せるから 尚恐ろしい。初めて聴いたその日から今日に至るまで抜かれた骨の数夥し。

エイモス・ギャレット Amos Garret

不可解なのはボビー・チャールズのアルバムにおけるその抑えに抑えた激渋の演奏だ。ロビー・ロバートソン抜きのザ・バンドにエイモス・ギャレットという堪らない顔ぶれによる演奏も渋すぎやしないかと感じてしまう。そう思ってしまうのはおそらく私が素人だからだろう。想像するにきっとボビー・チャールズも含め彼らは檜風呂のようなグルーヴを生み出そうとしたのだろう。なんてかっこ良い人たちなんだろうか。

それはさておきエイモスさんのこと。エイモスさんの得意技に1音半チョークダウンというものがある。これをやられたら三半規管がイカれるのでたちまち酔ってしまう。きっと弾いている本人も酔っている。すっかり千鳥足なのだが、それはもう見事なステップの千鳥足だ。なぜそのタイミングで!という常人には理解しがたいタイミングでステップを踏んでいたかと思えば、体が段々と宙に浮き始めて昇天。エイモスさんはそういうギターを弾く。

来日公演を渋谷のクワトロまで観に行った。ステージに現れるとまず譜面台に置いてあった袋よりバンジョー用のピックを取り出し指に嵌めようとするのだが、手が震えてなかなか嵌められず、見ていておいおい大丈夫かよと思った。しかし弾き始めたら絶好調も絶好調。この日以上に音楽を聴いて心地よくなったことはない。しかるにライブの細かい所は一切覚えていない。終演後Tシャツを買ってサインしてもらった。間近で見るエイモスさんは恐ろしくチビリそうになった。

 

ロバート・クワイン Robert Quinn

マシュー・スイートとリチャード・ヘル、どちらも最高。久しぶりに聴いたらいかに自分がギターを弾けていないかということを痛感させられてヘコんだ。

ダニー・コーチマー Danny Kortchmar

オブリガートというものがこの世に存在することを教えてくれた。それは、世の中には良い曲というものがあって、同時に良い歌と良い演奏があるということを教えてくれたということでもある。この人の存在が裏方に目が向かせるキッカケにもなった。

ダニー・コーチマーに私淑していたと言っていいだろう。ギターというものは気持ちよく弾くものであるということ。粋な音、野暮な音があること。野暮な音は決して出さないこと。たまにはあえて外すことも忘れずに。そういったことを学んだ。

久々にJo Mamaを聴いていてダニー・コーチマーのような姿勢で音楽に接したいと改めて思った。それが自分にとって理想的なことのようにも思う。

https://www.youtube.com/watch?v=E5TxpJVKKQ8

鈴木茂

一時期どうしたら鈴木茂になれるかと思ってギターを弾いていた。「夏なんです」や「外はいい天気」のもわんとしたフレーズが心地よくて好き。

 

夢の話に遠慮は無用

今思い返すとあのときどうにかなっててもおかしくないよな、という話。

学生の頃、サークルの部室に皆で集まっていたときのことだ。誰に言うでもなく「あー、今日の夢やばかったなあ」と呟いた。目の前にいた友人が微塵も興味がなさそうだったものの親切心で「どんな夢だったの?」と尋ねてくれた。私はなぜか急に照れてしまいニヤニヤしながらやや間を置いて「ンフー、秘密!」と返した。友人は黙って私の顔を見つめていた。そのときの彼の眼は非常に恐ろしいものであった。

この世には目を覆ってしまいたくなるような邪悪なものが確かに存在する。そういったものと比べればまだ可愛いほうかもしれないが、それでもそのときの私は巨悪だったと思う。

今こうして思い出話のひとつとしてこれを話題にあげることができているのも、彼の器のでかさ及び忍耐力の強さのおかげだ。本当にありがとう。

夢の話ほど需要と供給が不釣合いなものはないかもしれない。内容がどうこう以前に、もう夢というだけでその話お断りという人もまま見受けられる。夢というのは大抵が荒唐無稽で脈絡がなくオチがないものだしそれを退屈だと感じるのも頷けることではある。しかし巨悪にしてみればそれがどうしたという話でしかない。もしも自分が独裁者だったらきっと新聞に「総統夢日記」というコーナーを作るだろう。想像しただけでゾクゾクする。

しかし、世の中には、どうでも良いことに対して「まじでどうでも良いわ」と宣言したいと思っている人が一定数存在する。確かに物事に対して「どうでも良い」と表明することにはカタルシスがある。私の「ンフー、秘密!」という一言に対して友人が怒りに打ち震えた理由には私が彼のカタルシスを阻害したことがそのひとつとして挙げられるだろう。そういった形で需要が存在するからこそ、どうでも良いことは日夜絶えることなく供給され続けなければいけない。そこら中で量産されている夢の話もそういったものの一つだ。

世界からどうでも良いことが一切なくなってしまったときのことを想像してみよう。全ての事物がどうでも良くないことになってしまうのだ。私が今ここで必死に左肘を舌で舐めようと奮闘していることが誰かにとってどうでも良くないことになってしまったら?私はその人のことが気の毒でしょうがない。誰がそんな世界を望むだろう。

だから人間は毎晩夢を見るのだし、翌朝誰かにそれを話したくなるのだ。そういった営為によって世界の均衡は保たれている。 どうでも良いことはどうでも良いこととして存在しなければいけない。どうでも良いことがどうでも良くなくなってからどうでも良いことのどうでも良さを痛感したとしてもそれでは手遅れなのだ。だから夢の話をすることに遠慮など必要ないのである。というわけで以前twitter上で呟いたオールタイム・ベスト悪夢を結びに代えたいと思う。

悪夢を見た。田中邦衛の性欲処理のために開発された田中邦衛のクローン 人間。それが俺。感覚が同期されているので邦衛がいじると俺もムズムズする。「同じ人間なんだから仲良くしようぜ」と迫ってくる邦衛への恐怖と自分の宿命に対する絶望から川に投身するところで目が覚めた。